漫画『SLAM DUNK』の著者の井上雄彦さんが、2021年になって、「SLAM DUNKが映画になります」と電撃的に突如発表し大反響を呼びました。
元々、『SLAM DUNK』は、『週刊少年ジャンプ』で1990年から1996年まで連載されました。
高校バスケを題材に選手たちの人間的成長を描いた少年漫画です。
国内におけるシリーズ累計発行部数は1億2000万部以上を誇ります。
テレビアニメ、映画も放映され、『SLAM DUNK』がきっかけで、中学校、高校の部活をバスケ部にする人がほとんどでした。
そして、漫画の連載やアニメが終わってからも、その人気は衰えることなく、コミックスなども愛蔵版が再出版されるなど、未だに圧倒的な人気を誇っていることは事実です。
SLAM DUNKのモデルは?
まず、『SLAM DUNK』のモデルについて背景となっているのは、1990年代のNBAです。
ちょうど、80年代の終わり、レイカーズとセルティックスの2強時代から、デトロイト・ピストンズのバッド・ボーイズが活躍したり、そのバッド・ボーイズをジョーダン率いるブルズが、打ち破り、更にレイカーズに勝って、初優勝を飾ってます。
その後は、初のスリーピートを達成する、こんな出来事があったのが、90年代初頭のNBAでした。
なので、『SLAM DUNK』の登場人物は、この90年代初頭のNBAの状況が色濃く反映されています。
そして、『SLAM DUNK』には、それぞれ、湘北高校はシカゴ・ブルズ、翔陽はセルティックス、海南はレイカーズとモデルになったNBAのチームや選手がいます。
SLAM DUNKのキャラクターのモデルは?
では湘北のメンバーのモデルになった選手を見ていきたいと思います。
桜木花道
『SLAM DUNK』の主人公である花道は、全くバスケの経験がない超ド素人でしたが、ゴリこと、赤木キャプテンの妹の晴子に一目ぼれし、バスケ部に入部を果たします。
入部以後、周囲の予想を遥かに上回るスピードで急成長を果たします。
特に、しつこいディフェンスやゴリ直伝のリバウンドなどについては、天才的なプレイを連発。
超問題児の超ド素人だった花道は、湘北が全国制覇を成し遂げるためには必要不可欠な選手に成長したのです。
そんな、花道のモデルとなったNBAプレイヤーについては、花道の超問題児な言動と赤い頭とリバウンドが異常に強く、1プレイで試合の流れを変えられるという様々な要素から、一時は、デニス・ロッドマンがモデルと言われたこともありました。
実際に、ロッドマンと重なる部分も多いので、そう思われても不思議ではないのですが、花道のモデルについては、作者の井上さんが、「どちらかといえば、バークリーに近い」と発言されたことで、花道のモデルは、チャールズ・バークリーと認識されるようになりました。
バークリーは決して大きくない身体で、リバウンドは勿論、若い頃はファーストブレイクの先頭を走ったりすることもありました。
また、相手のビッグマンにも当たり負けすることもなく、ブロックする力もあり、その身体能力は間違いなく、当時のNBAでも上位を争っていました。
流川 楓
花道と同じ、湘北高校のルーキーであり、中学時代から、バスケの才能は一流で、スター選手であった流川は、学校が家から近いということで、湘北へ入学します。
そこで、花道と出会い、最初の頃は殴り合いのケンカをする事もありましたが、同じバスケ部で、一方的にライバル視されますが、無口と若干高圧的な性格で意に介しません。
ただただ、バスケが上手くなりたいという気持ちと超負けず嫌いな性格で敵のエースが強ければ強い程、立ち向かっていきます。
そんな、流川のモデルとなっているのが、マイケル・ジョーダンです。
ジョーダンもNBA1とも言われる程の負けず嫌いで、流川のシュートフォームや腕につけている黒のリストバンド、更には、バッシュはエア・ジョーダン5を着用するなど、共通点は多岐に渡ります。
プレイの面でも、ダンクのフォームなど、ジョーダンさながらだったりするので、比較的分かりやすいんですね。
宮城 リョータ
湘北バスケ部の2年生で、エースポイントガードのリョータは、1学年上の三井と喧嘩を起こした影響で入院していましたが、退院後、花道や流川が入った新生バスケ部に合流しました。
その実力は、神奈川県内でも5本の指に入るとも言われる程の実力の持ち主です。
プレイ面は、とにかく早い。
電光石火はリョータの為にあるような言葉の如く、鋭いドライブを仕掛けたり、冷静にゲーム状況をコントロールしたり、相手との駆け引きという部分においては本当に上手さを感じます。
リョータのモデルと言われているのが、フェニックス・サンズにいた、チームのレジェンドでもある、ケビン・ジョンソンです。
ジョンソンは元々、キャブスにドラフトされ、その後、サンズへ移籍します。
ジョンソンも髪型がツーブロックで、NBAの中では、185㎝と小柄なことも、共通点です。
更に、垂直飛び120㎝を誇り、ドライブしてから、悠々、ワンハンドダンクをかますなど、身体能力に優れていました。
唯一の違いは、アウトサイドシュートにあります。
リョータは苦手なところがありますが、ジョンソンはアウトサイドからでも易々と得点することができました。
また、別の視点で言えば、花道のモデルのバークリーとはサンズでチームメイトでしたし、三井のモデルの選手とはキャブス時代にポイントガードのポジションを争ったライバル関係にありました。
現実世界は、リョータのモデルである、ジョンソンが移籍する形になりましたが、漫画では、その選手が一時ドロップするところがあるので、相関関係などを視野に漫画を再読するのも面白いですね。
三井 寿
中学時代には、全中のMVPだった三井は、高校進学にあたり、引く手数多の存在でありながら、安西先生に感銘を受けて湘北に入学します。
しかし、怪我が原因で、満足いくバスケができなくなり、やがて、不良グループと付き合いだす問題児となり、バスケ部へ乱入しました。
いざこざを乗り越え、再び湘北バスケ部へ復帰した三井は、得意のスリーポイントを武器に湘北を支えるようになります。
三井のモデルと言われているのが、マーク・プライスです。
プライスは特に身体能力が高かったわけではないのですが、抜群のシュート力とバスケIQを誇り、アメリカのドリームチームⅡにも選出される程でした。
また、プライスは、2020年時点で、8人しか達成していない、「FG50%、3P40%、FT90%」以上を記録した選手の1人であり、とにかく、このシュートに関しては天才的なプレイヤーでもありました。
プライスはキャブスのプレイヤーとして幾度となく、ジョーダン率いるブルズと死闘を演じていますが、漫画では湘北で、ジョーダン(流川)とプライス(三井)が同じチームで戦っているという見方も面白いです。
赤木剛憲
湘北バスケ部の大黒柱であり、キャプテンである、通称「ゴリ」こと赤木です。
オフェンス面でもディフェンス面でも一流プレイヤーであり、弱小時代の湘北を支えてきました。それでも、実力は県内トップクラスのセンターです。
赤木のモデルとなっているのが、「The Admiral(提督)」こと、スパーズのデビッド・ロビンソンになります。
赤木の代名詞でもある、ゴリラダンクは、ロビンソンのボースハンドダンクと相似しますし、髪型も似ていますね。
また、ロビンソンはNBAに入る前に2年間、軍役についていたこともあり、性格もとても真面目なプレイヤーだったことから、その部分も赤木の性格と酷似するのかもしれません。
また、また、一時、赤木はパトリック・ユーイングではないかと言われたこともありましたが、ユーイングのモデルは、陵南高校のセンターである魚住でした。
これも、ロビンソンのライバルがユーイングであったことに起因するようです。
木暮公延
赤木と同級生で、湘北バスケ部の副キャプテンである、通称「メガネ君」こと木暮。
新星バスケ部においては、主に、ベンチでアシスタントコーチのような存在でもありましたが、たゆまぬ努力の賜物が、湘北の大ピンチを救う形を見せるのです。
そんな、木暮のモデルとなったのが、ジョーダンのチームメイトでもあった、ジョン・パクソンです。
ブルズの最初のスリーピートのメンバーの1人ですね。
背番号5も共通しますし、パクソンは頭も良いプレイヤーでもあり、ジョーダンを支えた最高のサポーティングキャストでした。
1993年のNBAファイナルで勝負を決めた3ポイントと、木暮が陵南戦で決めた3ポイントは見事にリンクします。
まとめ
このように、90年代のNBAは、今に負けず劣らず、個性的なプレイヤーが大勢いました。
また、湘北に限らず、『SLAM DUNK』は、この年代のNBAプレイヤーがモデルになっています。
その選手のことを知った上で、再読すると、更に更に味が出てきて面白くなると思います。