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【NBA1試合得点ランキング】歴代最高得点獲得したのは誰?

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世界最高峰のNBAにおいては、毎夜、スーパープレイのハイライトシーンが流れています。

スコアリングの部分に目を向けると、今のNBAにおいては誰もがその気になれば平気で、30点、40点を叩き出すことができる選手が沢山います。

その得点において、NBAでは1試合最多得点は何点なのか?

そして、その最多得点を記録したのはどの選手なのでしょうか?

NBA界でも特に1試合に最高得点を上げた選手をランキング形式で紹介していきましょう。

 

10位 デビン・ブッカー(70点、2017年3月24日、ボストン・セルティックス戦)

2015年1巡目13位で指名されたブッカーは、NBAデビューから年々スタッツも上昇させており、史上5番目に若い22歳86日で通算5000得点に到達したスコアラーです。

昨シーズンも、リラードの代役で初のオールスター出場を果たしました。

現役選手として、唯一ランクインしているブッカーですが、この試合においては、45分近くプレイして、70得点を記録。

FGも21/40、FTは24/26とFG成功率は50%以上、FTも9割近く決めています。

NBA史上最年少で70点を記録したプレイヤーです。スコアリングスキルも多彩で、ブッカーの活躍は益々楽しみです。

 

10位 ウィルト・チェンバレン(70点、1963年3月10日、シラキュース・ナショナルズ戦)

得点に関する記録のほとんどをチェンバレンが保持、または、保持していました。

チェンバレンは1960年代から1970年代にかけてNBAで活躍した選手で、チェンバレンは、216センチ、125キロのセンターでした。

現代のNBAでも十分通用するのではないかと思いたくなるほどの体格は、当時としては、異彩を放っていました。

今でいう、エンビード級の体格です。

当時は、7フッターの選手も珍しい時代でもありました。

チェンバレンに関して言うと、この試合の記録を含めて、70点以上を6回記録していますが、この記録は6度目にして、最後の記録となりました。

 

8位 デビッド・ロビンソン(71点、1994年4月24日、ロサンゼルス・クリッパーズ戦)

提督こと、NBAレジェンドの1人でもある、ロビンソンですが、71点は自己最多記録と共に、球団記録になっています。

この年は、シャキール・オニールとの得点王争いも熾烈を究めていて、ロビンソンにとって、この試合はレギュラーシーズン最終戦でもありました

ロビンソンとシャックの差は33点という僅差の状態にあり、この試合で71点をロビンソンが取ったことで、キャリア唯一の得点王のタイトルを獲得しました。

スタッツとして、44分の出場で、FGは26/41、FTは18/25、14リバウンド、5アシストを記録しました。

ちなみに、この試合では、スパーズの選手で2桁得点を記録したのは、ロビンソンだけでした。

 

8位 エルジン・ベイラー(71点、1960年11月15日、ニューヨーク・ニックス戦)

ベイラーがNBA史上最高のSFとも言われており、ベイラーがいなかったら、ジュリアス・アービングやマイケル・ジョーダンがNBAに現れることはなかっただろうと言われる程、NBAのトレンドを造った選手です。

ベイラーは「1000個のムーブを持つ」とも表現され、当時のNBAはセットシュートやフックシュート、ビッグマンに関してはダンクだけの時代に、ダブルクラッチやドライブしてダンクするなど、斬新な動きで注目を集めました。

また、ベイラーの71点も、チェンバレンが現れるまでは、NBA記録となっていました。

ちなみに、身長は196センチ、体重は102キロ程でした。

この体格で、シーズン平均19.6リバウンドを記録するなど、オールラウンドなプレイスタイルは、多くの後輩に影響を与えるに至りました。

 

7位 ウィルト・チェンバレン(72点、1962年11月3日、ロサンゼルス・レイカーズ戦)

NBAの得点記録の大半を保持しているチェンバレンですが、この試合含めて、1962年に4度も70点以上を記録しています。

現代のNBAにおいては、前述のブッカーが70点を記録したのは既に、4年前になります。昔と比べれば、スーパースターが一極集中するような状況でもないです。

現代の選手の役割は細分化されていることもありますが、チェンバレンのこの記録は、1人だけ当時のリーグ内で突出していたとはいえ、驚嘆に値します。スタッフの内訳も驚くべきものです。

FGは、29/48、FTは14/18となっています。ちなにに、この34年後の1996年11月3日にコービー・ブライアントがレイカーズでデビューを果たしました。

 

4位 デビッド・トンプソン(73点、1978年4月9日、デトロイト・ピストンズ戦)

NBAのスーパースターであり、バスケの神様ともいわれる、マイケル・ジョーダンが憧れた選手というのが、このデビッド・トンプソンでした。

1試合で70点以上を記録したプレイヤーは6人いますが、とりわけ、1970年代から1980年代にかけての70点以上の記録はトンプソンだけになります。

この試合は、レギュラーシーズン最終戦でした。トンプソンは、FGは28/43、FTは17/20でした。次に70点を記録したのは、デビッド・ロビンソン(8位)になります。

実はトンプソンは、悲劇のヒーローとも呼ばれていました。

ドラッグ中毒に陥り、30歳を前にリーグを去ってしまいました。

この記録もその短い現役生活の中でのもので、彼にとっては、数少ない、ハイライトになりました。

 

4位 ウィルト・チェンバレン(73点、1962年11月16日、ニューヨーク・ニックス戦)

チェンバレンが在籍したチームの1つに、サンフランシスコ・ウォリアーズがありますが、このチームは、現在のゴールデンステイト・ウォリアーズの前身のチームになります。

チェンバレンがウォリアーズに在籍していた期間は5年ほどになりますが、ウォリアーズの球団記録という枠の中では、そのほとんどがチェンバレンの得点記録の目白押しです。

その間に、チェンバレンは60点越えを27回(キャリア通算では32回)も記録しています。

このシーズンのチェンバレンの平均得点は、44.8点という記録を叩き出しています。

 

4位 ウィルト・チェンバレン(73点、1962年1月13日、シカゴ・バッカーズ戦)

1960-61シーズン、チェンバレンは、80試合中78試合で30点以上、60点以上に限っては15回も記録しています。

そして、このシーズンの通算スタッツは4029点、2052リバウンドを記録し、平均スタッツは、50.4得点、25.2リバウンドという前人未到の記録を叩き出しました。

この成績で、3年連続得点王とリバウンド王の二冠を獲得しています。

また、1シーズン通算得点で4000点を超えたのは、未だにチェンバレンのみとなっています。

 

3位 ウィルト・チェンバレン(78点、1961年12月8日、ロサンゼルス・レイカーズ戦)

1960年から65年までの5シーズンだけのアベレージスタッツを見てみると、平均得点で51.9点を記録しているチェンバレンです。

この時期が最も支配的な時代だっといえます。

ちなみに、キャリア晩年においても平均得点は30点を超えていました。

当時のNBA選手の平均身長は197センチ、94キロですので、リーグ全体を見渡しても、チェンバレンは頭一つ抜け出している状況ですね。

この年の記録として、他にも、7試合連続で50点を記録するなど、圧倒的な強さが引き立ちました。

ちなみに、この試合では、トリプルオーバータイムまで突入していて、レイカーズのエルジン・ベイラーも63点を挙げています。

 

2位 コービー・ブライアント(81点、2006年1月22日、トロント・ラプターズ戦)

41分の出場で、FGは28/46、FTは18/20と圧倒的なパフォーマンスを見せたのが、コービーでした。

しかも、この試合では、前半で26点を挙げていたものの、チームとしては、49-63と14点差のビハインドでした。

この状況を同僚だった、ラマー・オドムが、

「コービーはイラついてた。言葉をかけても何も返事はなかった」

と語っていて、後半だけで50点以上を記録し、チームを勝利に導きました。

ちなみに、コービーはこの時の試合で自分の背番号が永久欠番になると確信したと言っています。結果的には、8番と24番の2つの番号がチームの永久欠番になりました。

それから、14年後にコービーが亡くなることになるとは今もって信じられません。

 

1位 ウィルト・チェンバレン(100点、1962年3月2日、ニューヨーク・ニックス戦)

この試合のチェンバレンは、48分間フル出場して、FGは36/63、FTは28/32という内容で100点を達成しました。

また、100点を挙げた要因の1つとも言われているのが、対戦チームのニックスのスタメンセンターが表向き体調不良で試合を欠場しました。(二日酔いが原因だったとも)

それに伴い、代役センターは2年目の若手センターがマッチアップしました。

その若手センター相手に、得点を重ねました。

しかし、この試合においては、決して、チェンバレンだけで達成したというよりも、試合の途中からチームメイトがチェンバレンにボールを集め、記録達成のヘルプをしたと言われています。

チェンバレンもそれを認めています。

そして何よりも、凄かったのが、チェンバレンのフリースローの確率です。

通算成績でもフリースローの確率は50%だった彼が、この試合に限っては80%以上を記録していました。

こうして、様々な要素が重なって、この記録が生まれました。

 

まとめ

NBAには、不滅の記録が多数存在しますが、「チェンバレン選手の記録は恐らく今後も破られる事は無い」と言われています。

確かに、従来のNBAと現代のNBAでは、選手の温存などの観点から記録を破る事は容易な事ではありません。

しかし、NBAは確実に進化しているので、いつの日かチェンバレン選手の記録を破る選手が現れる日が来るのかもしれません。

今後の選手に期待ですね。

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