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スラムダンクの陵南・海南のキャラは誰がモデル?NBA選手のどのプレーヤーから作られた?

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『SLAM DUNK』のモデルについて背景となっているのは、1990年代のNBAです。

ちょうど、80年代の終わり、レイカーズとセルティックスの2強時代から、デトロイト・ピストンズのバッド・ボーイズが活躍したり、そのバッド・ボーイズをジョーダン率いるブルズが、打ち破り、更にレイカーズに勝って、初優勝を飾る。

その後は、初のスリーピートを達成する、こんな出来事があったのが、90年代初頭のNBAでした。

なので、『SLAM DUNK』の登場人物は、この90年代初頭のNBAの状況が色濃く反映されています。

今回は、湘北と同じ神奈川県のチームで、ライバルである、陵南と海南の主要メンバーにスポットを充てて見ていきたいと思います。

あの選手のモデルが、実は・・・なんてこともあります。

 

【海南】

牧 紳一:マジック・ジョンソン

184㎝、79㎏と、高校生としては、恵まれた体格を有する牧は、海南のキャプテンであり、エースです。

その実力は全国でも指折りであり、「常勝」海南の不動のエースであることに変わりはありません。

その体格でありながら、ポイントガードとして、チームをコントロールしています。

そして、ただコントロールするだけではなく、得意のペネトレイトで、フィニッシュもできるスコアリングガードとしての一面もあります。

これは、当時の時代背景を考えると斬新な設定でもありました。

90年代初頭のバスケでは、ポイントガードはボールを運んで味方にパスをするというのが主な目的であることが多かったのです。

モデルとなった、マジック・ジョンソンはレイカーズのショータイムバスケットを支え、レイカーズ王朝の中心メンバーでもあります。

206㎝、100㎏とNBAのポイントガードでは大柄でかつ、ボールハンドリングとマジックのようなノールックパスを繰り出すことで、「マジック」のニックネームがつきました。

また、ポイントガードに限らず、時にはフォワード、果てはセンターまでこなせるオールランド能力においても、作中の湘南戦で、赤木とマッチアップする牧を通じて、マジックがモデルであることを示しています。

 

神 宗一郎:レジー・ミラー

『SLAM DUNK』史上でナンバーワンのシューターでもある、神ですが、元々はセンターをやっていましたが海南では突出したピュアシューターです。

神のモデルとなった選手が、ペイザーズのレジェンドである、レジー・ミラーです。

神の身体の細さやシュートフォームはミラーと相似しています。

また、自らを「入りだしたら止まらないタイプ」というように、ミラーについても、「8.9秒で1人で8点」を取るなど、数々のミラータイムと呼ばれる終盤での勝負強さを見せてくれました。

唯一、ミラーとの違いがあるとすれば、天使と悪魔のような性格の対比性です。

神は言ってみれば優等生タイプとして描かれています。

して、後者はミラーです。

この時代のNBAで、3ポイント=ミラーとみんなが思う程、そのシュート能力はずば抜けていましたが、いかんせん、ヒールにもなりやすかったタイプです。

ジョーダンにも平気でトラッシュトークをしかけたり、その言動から相手チームのファンを激怒させるなど、さながら、問題児ぶりも如何なく発揮していた選手です。

 

清田 信長:ショーン・ケンプ

桜木から「野猿」と名づけられてしまった、自称「海南のエース」こと清田です。

桜木や流川と同じ高校1年生にして、海南のスタメンを張る程の実力をもったルーキーです。

その身体能力は非常に秀でたものがあります。

作中での桜木とのやり取りも名シーンばかりですね。

そんな清田のモデルとなった選手が、ショーン・ケンプです。

彼が所属していたシアトル・スーパーソニックス(現在のオクラホマシティ・サンダー)時代、シアトルは雨が降りやすいところであり、ケンプは敵チームにダンクの雨を降らせるということから、「レインマン」というニックネームをつけられていました。

そして、相棒のペイトンとのスーパーデュオで、ブルズのジョーダン、ピッペン、ロッドマンのBIG3とファイナルで対決するまで至りました。

ケンプは、針金のように細い身体ではありましたが、運動能力がとにかく半端なく、平気でダブルクラッチからのダンクをしたり、重力を感じさせないような身体能力から繰り出されるダンクはとても驚かされました。

 

高砂一馬:ブラデ・ディバッツ

海南にあって、牧、神、清田ほど目立たず、一見地味な存在のキャラのようにも見える高砂です。

また、191㎝、80㎏と、同じセンターでも、湘北の赤木、陵南の魚住、翔陽の花形と、スタメンとしては見劣りする感は否めませんが、バスケIQは非常に高く、頭のいい選手です。

高砂のモデルと言われているのが、90年代後半から2000年代初頭にかけてキングスで活躍したブラデ・ディバッツと言われています。

ディバッツは、1989年のドラフト1巡目26位でレイカーズに指名され、ヨーロッパの選手として、史上初のおーるルーキー・ファーストチームに選出されました。

2004年までプレイしたディバッツは、通算1万3000得点、9000リバウンド、3000アシスト、1500ブロックを記録するなど多彩な能力で活躍した殿堂入り選手です。

引退後は、キングスのGMを務めたりもしていました。

 

【陵南】

福田 吉兆:ラトレル・スプリーウェル

陵南のスコアラーでもある、福田は仙道と同級生の高校2年生になります。

188㎝、80の体格で、パワーフォワードとしてプレイしています。

とてもプライドが高く、そのプライドの高さゆえ、過去には問題行動を起こした事もあった程です

オフェンスでは超一流の力を持ちながら、ディフェンスは素人並みというアンバランスさがありますが、福田が入ったことで、陵南は仙道と、魚住とバランスが取れ、県内でもトップクラスのチームへと変貌しました。

福田のモデルの選手となったのが、ラトレル・スプリーウェルです。

スプリーウェルは元々、高校生でバスケを初めて短大で活躍していたところを当時のウォリアーズのGMであった、ドン・ネルソンがドラフト指名に踏み切り、NBAデビューを果たしました。

持っている能力は非常に素晴らしかったスプリーウェルですが、ウォリアーズ時代に、ヘッドコーチと口論になり、事件を起こしてしまいました。

その結果、1年間の出場停止処分を受けます。

その後、ニューヨーク・ニックスへ移籍を果たし、99年の「ミラクル・ニックス」の一員として、ファイナル出場を果たしました。

問題行動を起こしながらも、そのずば抜けた力で活躍するという部分は似ていますね。

 

魚住 純:パトリック・ユーイング

陵南の大黒柱であり、湘北の赤木のライバルでもある、魚住です。

全国の舞台で苦戦する赤木に向けて、「お前に華麗なんて言葉が似合うと思うか、赤木。お前は鰈だ。泥にまみれろよ」と名言を残します。

高校生にして、202㎝の身長を誇る魚住ですが、モデルとなったのが、パトリック・ユーイングと言われています。

赤木がデビッド・ロビンソンをモデルとしていて、ロビンソンとユーイングもライバル関係にあったことや、ユーイングはオフェンスもですが、ディフェンシブなプレイも目立っており、そのプレイぶりがキャラクターに反映されています。

また、ユーイングと魚住の背景についても、両者ともあと一歩のところで優勝を逃がすという共通項があり、そんなところもモデルと酷似しているところです。

 

仙道 彰:JUN(鈴木 淳)

それぞれ、個性あふれるキャラクターに、時代を代表するNBA選手がモデルとなっている『SLAM DUNK』ですが、この仙道だけは、実は、モデルがNBA選手ではありません。

なんと、日本人で、ストリートバスケリーグの「Legend」で活躍したJUNこと鈴木 淳さんです。

リアル仙道と言われる程、体格から風貌までそっくりと話題になりました。

また、似ているのはプレイスタイルも同じで、190㎝、78㎏で得点にパスにオールラウンドなプレイがそのまま仙道のモデルとなりました。

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